カオフラージュ
17
《SOWA》には三つのチームがあり、一チームに五、六人の刑事が属し、基本的にはそれぞれ別の事件を担当している。瞳のチームには川島、石本、チャンの他に武田と松田という、ともに四十代の刑事がいるが、現在、武田は捜査中に右足を骨折してしまい、入院中で、松田の方は本庁での研修に参加している。
陽が傾き、薄暗くなってきた夕方のオフィスには今、瞳と川島の二人しかいない。
川島は現場に残されていた暗号のコピーとにらめっこしているが、眉間に皺を寄せ、考え込む表情はまるで般若の面のようだった。
「大抵の暗号は既存の方式を使用しているはずです。けど、それがどの方式の暗号かわからないうちは、どうやっても、復号はできませんよ」瞳が微笑みながら言った。「チャン君はそういうのに詳しいから、彼が帰ってくれば――」
そこへ、タイミングよく石本とチャンの二人が聞き込みから戻ってきた。
「ダメでした。収穫はゼロです」
石本が言った。
「そう。ご苦労様」瞳が笑顔で迎える。「でも、こっちは新展開があったわよ」
「本当ですか? 何があったんですか?」
チャンが食いついた。川島が暗号を二人に見せる。
「なんだ、こりゃ?」
石本が怪訝な顔を見せる。
「ああ、ヴィジュネル暗号ですね」チャンは言った。「ジュール・ヴェルヌの『ジャガンダ』なんかに出てくる古典的な暗号ですよ」
「さすが」
瞳が拍手する。
「なら、おまえ解けるかこの暗号」
川島が言った。
「さあ、どうですかね。一応、やってみますが」チャンが自信なさげに答える。「まあ、平文と鍵の文字数が同じだということがこれはわかっているので――」
「鍵?」
石本が首をひねる。
「ああ、これは一番上にある文が平文、次の文が鍵、そして一番下の文が暗号文って言うんです」
「へえ、そうなんだ」
「それで、どうなる?」
川島がせかす。
「そうですね。鍵が一文字わかっているので、これが何かのヒントだと思うんですが」
「ヒント?」
瞳が言った。
「ええ、文字数があらかじめ表記してあるので、鍵となる文は【R】から始まる九つの文字を使った文章だと思うんですよ。もしも、それより短い文で、よくある反復する文字の羅列となると、九を三等分して、三文字ずつの単語とかそういう可能性もありますが、この鍵の周期性というのは問題があって、そのことはずいぶんと昔から……」
「ああ、なんだかむずかしいな。つまりはどういうことだ」
石本が痺れを切らす。
「だから、なんかRで始まる九文字の文章が見つけられればいいんじゃないかと」
「そうは言ってもなあ」
川島が頭をひねる。
「それは名前でもいいの?」
瞳が言った。
「ええ、条件にあっていれば」
「たしか、その暗号が見つかった現場の横浜公園にはリチャードなんとかの胸像があったんじゃない?」
「それだ」チャンが興奮気味に言った。「リチャード・ヘンリー・ブラントン。明治政府に雇われて、日本中に数多くの灯台を設置した人ですよ」
「つまり?」
川島が続きを促す。
「ファーストネームとミドルネームはイニシャルの頭文字だけで表記することはよくあるので……」チャンが紙に【RHBRUNTON】と書いてみせる。「彼はイギリスの建築家なので、イギリス英語風に略称のピリオドを省きました。これで鍵の文は間違いないと思います」
「スゴい」
瞳が感嘆の声をあげる。
「で、この先は?」
川島が訊いた。
「あとはヴィジュネル方陣という表を使って、まだ解読出来ていない平文を復号します。これは調べればすぐにできますから」
チャンがパソコンに向かう。
「しかし、暗号文とはふざけたヤツだ。ゲームか何かのつもりか」
石本が吐き捨てるように言った。
「確かに。でもこれは捜査に役立つ大きなヒントになるんじゃないかしら」
瞳が言った。
「ホシが俺たちの手助けをしてくれていると、そういうことですか?」
石本が腑に落ちない顔を見せる。
「だから、おまえがさっき言ったとおり、ゲームなのさ」川島が言った。「奴はからかっているのさ、俺たちのことを」
「解けました」チャンが叫ぶ。「【A LAY JUDGE】日本語で裁判員の意味です」
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