カオフラージュ
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神奈川県警、特別広域捜査班は連続殺人などの凶悪な犯行を県内五十四ある警察署の管轄を飛び越え、自由な裁量で捜査し、また情報もすべて共有できる、縦割り社会の警察組織にあっては非常に画期的な、ある意味実験的な側面を持つ、特別な捜査チームだ。チーム名は一般に英語名の《SPECIAL SEARCH CONDUCTED OVER WIDE AREA UNIT》の頭文字の一部を取って《SOWA》と呼ばれる。《SOWA》は横浜市中区海岸通にある神奈川県警本部に設置されている。
《SOWA》のオフィスの隅にある自動販売機の前、白い丸テーブルが二つ並べて置かれている休憩スペースに三人の刑事が徹夜明けで、眠たげな表情を浮かべながら、コーヒーを啜っている。
いわゆるベテラン刑事といった風貌の川島刑事は、五十九歳で独身。現場捜査にこだわっているため、昇進試験は一度も受けたことが無い。性格は生真面目で実直。外見は年の割に筋肉の衰えも無く、まるでボディビルダーのような体つきで強面だが、人の面倒見がよく、後輩たちから慕われている職人肌の刑事だ。一方、チーム内で若手と呼ばれる、二十代後半の石本とチャン。二人はコンビで行動することが多い。若者らしい熱を帯びた正義感と行動力がある刑事たちだ。石本は来年で三十路を迎える長身で細身の、少し調子がいい感じの男で、対照的に一年後輩の日本人と中国人のハーフであるチャンは背が低く、筋肉質のいい身体をした少し生真面目な男だ。
早朝のため、徹夜した三人以外、オフィスに人はいない。
「指紋、掌紋一つ、髪の毛一本残さず、目撃者もいない完全犯罪」チャンが一人ごちるように言った。「唯一の手がかりは現場に残される謎の英単語が記されたカードか……」
「しかし、そのカードというのがご丁寧によく出回っているありふれた紙とインクを使ってやがる」すかさず石本がぼやく。「凶器は今のところ発見されていないが、傷口からいって、それもよくありふれた刃物を使っているみたいだし、そうだ、赤外線で取れた足紋のスニーカーの跡を見ただろう、あれだってそうだ、量産品を選んでいる。抜かりなく、細心の注意を怠らない、まったく敵ながら恐れいるよ」
「感心している場合じゃないですよ。それに、手がかりになるのは、やはりカードに記されたあの英単語の方ですよ」
「まあな」
「最初の犠牲者、中尾政之さんの殺害現場にあったカードの単語は【Refomer】意味は“改革者”です」
「ああ……確かにそのガイシャは市民オンブズマンで、彼が中心となり開かれた、公共事業の入札に関しての市民フォーラムが、現在の横浜市の入札制度の改革につながったらしいからな」
川島が意味を補填するように言った。
「ええ、で次の被害者、神山恵理さんの現場にあったカードの単語は【Supporter】こっちは“支援者”の意味で……」
「それは」今度は石本が後を引き取った。「彼女はクリスチャンで、山下公園の近くの教会のサポーターをしていた」
「そう。そして今日発見された菊井一馬さんの現場にあったのが、【Achiever】のカード。これの意味は“成し遂げる”ですけど、彼のブログを見たら、去年の暮れからダイエットをしていて、十二キロの減量に成功したとありました」
「しかし、いくら単語の意味とガイシャの関係がわかったところで、彼らの繋がりはまったく見えてこないよな」
石本が再びぼやいた。
「馬鹿野郎、そんな簡単に白旗揚げるんじゃないよ」
川島が孫の手で、彼の頭を小突く。
「だって、そんなこと言ったってわかんないですもん。大体、川さんの方はどうなんですか? 何かわかったんですか?」
「いや」
「なんじゃ、そりゃ」
「一番謎なのはその動機だ。ガイシャ同士の接点の無さからいって、怨恨の線は薄い。また、事件の綿密な計画性からいって、精神異常者による通り魔的な無差別殺人とも違う。だったら、一体奴は、何を目的に殺しを続けているんだ?」
「それはまだわからないけど、ホシは我々に強烈なアピールをしているわ。この一連の殺しすべてが奴のメッセージなのよ」
――背後から声がする。
「誰かと思ったら、瞳ちゃんか」
振り返った川島が言った。
「あ、月乃警部。お疲れ様です」
チャンが頭を下げると、石本もそれに倣った。
「我々の高度な科学捜査の裏をかいてこれだけのことをやり遂げているのよ。そこには奴の強い意志を、ううん、思いを感じるの。それが、憎悪なのか執念なのかはわからないけれど。奴はカードを使って、我々に何かを伝えようとしている。一見、被害者同士に接点は無いけれど、恐らくそれは違うわね。必ず何かしらの繋がりがあるはずだわ」
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