新生喜劇~LA RENASCITA COMMEDIA~
16
目覚めると、もう昼過ぎだった。仕事が休みの日はたいていこんなものだ。何か夢を見た。それもかなり長い夢だったような気がするが、内容はまったく思い出せない。それにしても、それなら熟睡はしなかっただろうに、やけにすっきりとした気分だ。
休みといっても、誰かに会う約束をしているとか趣味やスポーツの為に出かけるとか、そういった予定はまったくないので、いつものように部屋の中で何をするわけでもなく、ただぼーっとして過ごすだろうな、などと考えていると、突然、めったにならない家電のベルがけたたましく鳴った――ケータイは一応持っているが、電源はずっとOFFのままだ。
「おい、助けてくれ」
受話器を取ると、返事をする間も無く、電話の向こうから叫び声が飛び出してきた――同僚の林だ。声でわかる。ついでに、どういった用件なのかも容易に予想がついた。彼はことあるごとに私を合コンに誘ってくるのだ。彼は私と同期なので、今年で二十九歳だ。よくやるよなと思うが、彼に言わせれば、それはれっきとした婚活なのだそうだ。私は今まで彼の誘いに乗ったことなど一度もなかった。軽い気持ちで参加すればいいと彼は言うが、やはり結婚に失敗した過去はただの恋愛関係であっても、二の足を踏ませた。いつも胸の中に、何かモヤモヤとしたものがあって、前に歩き出す勇気というのか、なんなのかとにかくそういうのが欠けていて、踏ん切りがつけられずにいたのだ。だが、なぜだか今日は彼の誘いに「イエス」と返事してしまった。我ながら、どうかしている。
男子メンバーは開始時間である七時より、三十分早い六時半に国分町にある居酒屋に集合した。作戦会議があるらしい。今回のメンバーは私と林のほかに早坂という会社の同僚と、職場はそれぞれ違うが野田と能登という、いずれにしても大学時代、ゼミで一緒の五人組だった。ちなみに私と林以外は既婚者だ。人数合わせの為とはいえ、なぜ彼らに声をかけたのだろうか? もっと若い奴らの方が良かったのではないか? 彼らも彼らだ。奥さんに知られたら、マズいんじゃないのか? 私の心配を余所に、当の本人たちは本日の相手の女性たちの話で盛り上がっている。彼女たちはほとんどが二十代前半で、林が以前、クラブでナンパした娘の友人たちで、職業はバラバラらしいが、中には雑誌のモデルやナースもいるらしく、男たちは興奮を抑えられないといった感じだ。
作戦会議というものの、学生時代から、何度となく繰り返してきた合コンだ。今さら、話し合うことなど無く、ただちょっとおしぼりやコースターを使ったサインの確認だけして、あとはお決まりの下品な猥談めいたジョークのやりとりで笑い転げただけだった。私が彼らと合コンに参加していたのは大学の頃だったが、あの頃の楽しさが少しずつ蘇ってきた。少し前まではこういうことをしても、あの頃のようには楽しめないと思っていたはずなのに。今日の私は何かがおかしい。ただ、この流れは悪くない。そんな気がする。
女性たちも集まり、コンパが始まり、乾杯をして自己紹介も一通り終えた頃になると、場の雰囲気もようやく和んできた。男女が交互に座り、オクラホマミキサーのようにある程度の時間で女性の席が一つずつ、次の相手となる男性の右側に移動したが、三回目の移動で、第一印象でなんとなく気になっていた女性が隣に座った――彼女は市の図書館で司書をしているというが、二十代前半の女性らしくオシャレにも気を使っているようで、いわゆるIラインと呼ばれる縦を意識した丈の長いニットワンピースで、襟元はタートル。色はグレーで、頭には同系色の中折れハット、靴は黒のスニーカーとシンプルだけど、トレンドライクな恰好をしていた。髪型もナチュラルな感じのカールしたパーマで、色はブラウンとベージュ、長さはミディアムで、ほっそりとした顔立ちに大きな瞳が印象的だ。性格も明るく快活でとても好ましいものだった。ただ、趣味はやはりというべきか、読書だそうで、本人いわく本の虫らしい。
「最近はどんな本を読んでいるの?」と私は尋ねた。
「ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『伝奇集』です」
「ホルヘ……?」
「そうです。ホルヘ・ルイス・ボルヘスです」
「へえ。聞いたことない名前だなあ」
「彼はアルゼンチンの作家なんですけれど、私が今、読んでいる『伝奇集』はとっても面白いんですよ。中でも私が一番気に入っているのは『バベルの図書館』という話なんです」
「『バベルの図書館』……」
その言葉になぜか私は懐かしさを感じた。そして、胸の奥に何かあたたかいものが溢れ出してくるのを感じた。
「どうかしましたか? 大丈夫ですか?」
放心状態の私に驚いた彼女が言った。
「ああ、ごめん。何でもないんだ。話を続けて。その話もっと詳しく聞きたいな」
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